バレエの名作の中には悲劇が描かれているものも沢山あります。
有名なものでいえば『白鳥の湖』なんかもそうです。
今でこそハッピーエンドに改定されている版もありますが、もともとはオデット姫とジークフリート王子が湖に身投げするという結末でした。
私個人の価値観ですが、バレエを物語を軸として見たときにより魅力的だと感じるのはこういった悲劇を扱った作品です。 (もちろん『ドン・キホーテ』のような喜劇を扱った作品も大好きですが。)
本記事ではバレエの悲劇の名作をご紹介いたします。
バレエ作品はバレリーナ(女性)に焦点が当たりがちですが、これから紹介する3作は男性が主役と言っても過言ではない作品たちです。
そこで今回はあえて男性について深く掘り下げてみて、悲劇の原因を探っていきたいと思います。
※『』内は作品名です。
アルブレヒト 『ジゼル』
作品について
1841年に初演されたロマンティックバレエの代表作です。
妖精ウィリにまつわるオーストリア地方の伝説に着想を得て作られたとされています。
あらすじ
ジゼルは身体は弱いが健気で踊ることが大好きな村娘。
貴族のアルブレヒトはバチルダという婚約者がいるにも関わらず、名をロイスと偽ってジゼルに近づきます。
想いを寄せていく2人でしたが、ジゼルのことが好きなヒラリオンはそれが面白くありません。
そんな中ヒラリオンはアルブレヒトが隠していた剣をみつけ、村の人間ではないことを確信します。
ある日、バチルダの一行が村に訪れました。
ヒラリオンはジゼルたちにアルブレヒトの剣を見せ、更にバチルドと公爵を連れてきて彼の正体を暴いてしまいました。
もはや誤魔化すことのできなくなったアルブレヒトは、バチルダの手にキスをします。
その様子を見たジゼルはショックを受け錯乱状態に陥り、そのまま母の中で息絶えました。
アルブレヒトとヒラリオンはお互いを責め合いますが、結局アルブレヒトの方が村人たちから追いやられるように立ち去ることとなるのでした。
森の沼のほとり。ここには結婚を目前にして亡くなった娘たちが妖精ウィリとなって集まる場所です。
ジゼルはウィリの女王ミルタに仲間として向かい入れられます。
ウィリは森に迷い込んできた人間を死ぬまで躍らせます。
ジゼルに許しを請いに墓へとやってきたヒラリオンはウィリ達に捕らえられ踊らされ、命乞いも虚しくミルタによって沼に落とされてしまいました。
一方アルブレヒトもジゼルの墓に訪れジゼルと再会しますが、同様にウィリ達によって捕らえられ踊らされてしまいます。
その最中、ジゼルはミルタにアルブレヒトの命を助けるよう求めました。
そうこうしているうちに朝を告げる鐘が鳴り日が差し始め、ウィリ達は墓へと戻っていきました。
ジゼルは朝の光を浴びながらアルブレヒトに別れを告げて消えていきます。
アルブレヒトの命は助かったのでした。
アルブレヒトについて
私は数あるバレエ作品の中でもどうしても彼のことが好きになれません。
彼がジゼルを愛していたか?ただの遊びだったのか?については解釈が分かれています。
ジゼルを愛していた場合、なぜいつまでも正体を隠していたのか?なぜバチルダの手にキスをしたのか?という疑問が生じます。
一方で遊びだった場合はわざわざジゼルの墓へ訪れ謝罪することはないでしょう。
そのためどちらとも取ることができるのです。
私の解釈としては「最初は遊びだったが次第に本気になってしまった。しかし自分の立場を捨てるだけの勇気もなくどっちつかずの状態になってしまった。」という感じです。
また、もしかしたら貴族としての自分が嫌だったのかもしれませんね。
ジゼルが死亡した際、アルブレヒトはヒラリオンを責め立てます。
これはどう考えてもおかしい。
貴族としての立場が大切なら身分を偽ってジゼルに近づくこと自体がおかしいです。
またジゼルを心から愛していたのなら、早い段階で自ら真実を打ち明けるべきでした。
こういったアルブレヒトの取った、あるいは取らなかった行動がこの悲劇の一番の原因なのは明らかです。
この行動の一貫性のなさがどうにも好きになれない理由です。
アルブレヒトのその後は描かれていません。
しかし私はこの一件でバチルダとの結婚が破談になると予想しています。
また村人からしたら彼のせいでジゼルもヒラリオンも亡くなったわけですから到底許すことはできないでしょう。
よって貴族としての立場は危ういものとなるでしょうし、もしかしたらまた別の日にウィリと遭遇することになるかもしれません。
いずれにしてもあまり幸せな未来にはならないような気がします。
余談ですがヒラリオンの扱いがあまりに可哀そうすぎると思いませんか?
彼は事実を述べただけで悪いことはしていないのに……。
それにまさか事実を知ったジゼルがショックで死んでしまうなんて思わないじゃないですか。
それでも亡くなった責任の一端があるからと墓へ謝罪に訪れたらウィリ達に沼へ……。
あまりにも可哀そうです。
ジェイムズ 『ラ・シルフィード』
作品について
1832年初演の全2幕のロマンティックバレエです。
男性の着るスコットランドの民族衣装「キルト」が印象的ですね。
本作はマリー・タリオーニによって初めてポワントを駆使して踊られたということでも知られています。
また、本作は彼女の父によって振り付けられました。
余談ですが、本作はよく『レ・シルフィード』と混同されがちですが、これは全くの別作品です。
『レ・シルフィード』はショパンの楽曲に乗せたストーリーのない作品で、『ショピアニーナ』の名称でも知られています。
あらすじ
スコットランドのとある農村。
婚約者エフィとの結婚を控えた青年ジェイムズが暖炉でまどろんでいたところ、シルフィード(風の精)が現れますが、捕まえようとすると消えてしまいます。
友人たちが結婚の祝いにやってきましたが、そこに現れた占い師マッジが「エフィと幸せな結婚をする相手はグエンである」と予言します(グエンはエフィのことが好きで、彼女を諦めきれずにいました)。これに怒ったジェイムズはマッジを追い出しました。
ジェイムズが一人になると再びシルフィードが現れ、ジェイムズとエフィの結婚を悲しみ、愛の告白をします。
そして迎えた結婚式。シルフィードが現れたかと思うと、指輪を奪って森へと立ち去ってしまいました。
森へ追いかけてシルフィードを捕まえようとするジェイムズですが、なかなか捕まらない彼女に次第に思いを募らせていきます。
そこに現れたのは占い師マッジ。彼女はジェイムズに1枚のショールを渡します。
マッジの説明によるとそのショールは「肩にかけると飛べなくなる」という代物でしたが、なんと正体は呪いのショール。
そうとは知らないジェイムズはシルフィードの方にショールをかけます。
するとシルフィードの羽は抜け落ち、そのまま息絶えてしまいました。
どこかで結婚式の鐘の音が聞こえてきます。
なんとエフィとグエンが結婚したのです。
ジェイムズはその鐘の音を聞きながら絶望の中息絶えるのでした。
ジェイムズについて
ジェイムズは極度のマリッジブルーだったのかな?と思います。
本来はマッジの予言に怒る程度にはエフィのことを愛していたはずです。
それにも関わらずシルフィードに心を奪われ追いかけて行ってしまったのは、マリッジブルーで何かに逃避したかったのではないか?と思えます。
逃避したくなる気持ちは理解できます。
実際私や旦那も結婚前はマリッジブルーで逃げ出したくなることが時々ありました。
しかしよりによって妖精って……。
怒って追い出したはずのマッジにショールを渡され、その説明を鵜呑みにしてしまうのは少し驚きです。どんだけ純粋なんだ。
もしかしたらジェイムズは精神的にまだ子供だったのかもしれませんね。
19世紀のイギリスは12~13歳から結婚が可能だったそうです(元々12歳だったのが途中から13歳に引き上げられました)。
そう考えるとジェイムズもまだ10代の可能性もあるのかな。
と思ったのですがどうも実際は20歳を過ぎてからの婚姻が多かったようです。
ということはジェイムズも20代前半~半ばくらいの可能性が高いですね。
とはいえジェイムズが出て行った→グエンと結婚する!というエフィの心変わりの速さには驚きです。
グエンはエフィが好きだという描写がありましたが、もしかしたらエフィも同じだったのかも?
せめてエフィが傷心のジェイムズの元にやってくるという最後なら救われたのかもしれませんね。
ソロル 『ラ・バヤデール』
作品について
1877年初演の作品。
現在では3幕くらいの規模で上演されることが多いです。
初演のストーリーがあまりに悲劇的なため、途中で終わる版やシーンが追加されている版など存在します。
あらすじ
古代インド。
密かに愛し合っていた戦士ソロルと寺院の踊り子ニキヤは神に結婚の誓いを立てました。
ソロルのことが気に入っていた王ラジャはソロルと娘のガムザッティを結婚させようとします。
最初は戸惑うソロルでしたが、次第にガムザッティの美しさに惹かれていき、またラジャに逆らうこともできなかったため結婚を承諾しました。
一方寺院の大僧正はニキヤに思いを寄せていましたがこれを拒まれてしまいます。
恨んだ大僧正はソロルとニキヤの関係をラジャに告げ口しました。
それを聞いていたガムザッティは侍女にニキヤ殺害を命じます。
ソロルとガムザッティの婚約祝いの席でニキヤは悲しく踊りますが、侍女の仕掛けた罠により毒蛇に噛まれ、ニキヤは息を引き取ります。
ショックに打ちひしがれるソロルは従者に渡されたアヘンを使い、幻想の中でニキヤと再会し愛を誓いました。
やがて寺院でソロルとガムザッティの結婚式が執り行われます。
しかし誓いを破られたことに怒った神によって寺院は崩壊し、その場にいた全員死にました。
ソロルについて
ニキヤは自分の命を落とそうとも大僧正を拒み続けました。
ガムザッティもニキヤ殺害に関しては完全にやりすぎですが、これもソロルへの愛ゆえです。
2人ともソロルへの愛を貫きました。
ではソロルの貫くべきものは?
- ニキヤへの愛
- 戦士としての立場
ソロルはこの2つの間をグラグラし続けることになります。
結局ニキヤが死亡したことで結果的に戦士としての立場を守ることとなりました。
しかし一方でニキヤへの愛は成就しませんでした。
本作の結末ではそれが神の怒りに触れることとなります。
正直こちら側からすれば「立場を捨ててニキヤと一緒になれば良いのに!」と思ってしまいますが、王ラジャは説得できるような相手ではありませんし、逃げたところですぐに追手に捕まってしまうでしょう。
その結果2人とも命を落としかねません。
「ガムザッティの美しさに惹かれた」とはいえ、結婚を承諾したのにはニキヤを守る意味合いもあったはずです(結局ニキヤは殺されてしまいましたが……)。
愛と立場どちらを選んでもその先にあるのは死。
某ゲームのキャッチコピーではないですが、まさに「どうあがいても絶望」的な状況でした。
共通点と違い
3人に共通しているのは、結婚を誓った相手がいながら他の女性に惹かれてしまうという点です。
二兎追う者は一兎をも得ずというやつでしょうか。
しかしアルブレヒトとジェイムズは確かに似ていますが、ソロルは他の2人とは性質が異なります。
まず第一にアルブレヒトは貴族、ジェイムズも良い家柄であることが伺えます。
一方でソロルは英雄とはいえ人に仕える身分です。
そのためこの悲劇を自分から選ぶか?周りによって選ばされてしまうのか?という違いが出てきます。
そういう意味でアルブレヒトとジェイムズに関しては非常に「自業自得」的な要素が大きいです。
選択を間違えてさえいなければ幸せに暮らせていたかもしれないのに、わざわざ不幸になる選択を選んでしまっているのです。
アルブレヒトはジゼルに接触しない、あるいは早く真実を打ち明けていたら。
ジェイムズはシルフィードを追いかけなければ。
もしかしたらこのような悲劇に遭わずに済んだかもしれません。
一方のソロルはどちらを選んでも最悪な結末になる可能性が極めて高く、どうしようもなかった側面が極めて強いです。
またガムザッティに惹かれたとはいえ、明確に愛していたのはニキヤです。
よって結婚を誓った相手がいながら他の女性に惹かれたという点では共通していますが、それ以外の点においてはソロルに関しては性質が異なることがわかりました。
まとめ
正直この考察を書く前は全員同じだと考えていました。
タイトルも「バレエ作品のダメンズ3人」にしようかななんて思う程度に。
しかし実際各人物を掘り下げてみると一概にダメンズとは言えないことがわかりました。
アルブレヒトとジェイムズは「うーん……」と思ってしまいますが、それでも彼らは彼らなりにその選択を取りたくなる理由があります(あくまで推察ですが)。
これはただ観ているだけではきっと気づかなかったことです。
バレエは言葉のない物語ですから、振りや表情、音楽などから読み取るしかありません。
だからこそどちらかというとダンサーのテクニックや演技力に目が向きがちで、キャラクターに関してここまで掘り下げることはなかなかありませんでした。
しかし各キャラクターについて知ることで次に見るときの没入感は確実に変わります。
また踊り手は更に深く心情を表現できるようになるのではないでしょうか。
そのため(バレエ作品に限ったことではありませんが)作品の内容について考えるというのは非常に有意義なことだとわかりました。
これからも様々な作品の考察をして行けたらと思います!