生活能力ありません

生活能力0(ゼロ)から始める結婚生活

奢られることへの苦手意識と優劣

男性が女性に奢るってよく聞く話だと思います。

こんな私でも独身時代そういったことは時々ありました。

特に婚活をしていた頃はそれが当たり前のように感じてしまっていた時期もあります。

しかし婚活中のある出来事をきっかけに「奢られる」という行為に対して苦手意識を持つようになりました。

 

体験談 

相手は街コンで出会ったAさん。

地元が近いからということで食事に行くことになりました。

場所はカジュアルでリーズナブルなピザ屋さん。

正直「地元が近い」以外の共通点がなくいまいち盛り上がらないまま時間が過ぎて行きました。

2時間ほどが経ちそろそろ帰ろうかという雰囲気になった時に彼が言いました。

「ここは奢るから次も会ってよ。」

このなんてことない言葉がその後1週間くらい私をモヤモヤさせることとなりました

普段ならありがたくご馳走になっていましたが、この時ばかりは固辞して自分の食べた分を支払い解散しました。

その後Aさんとは会っていません。

 

なぜもやもやしたのか

さて、なぜ私はAさんの言葉にモヤモヤしたのでしょう。

その時は自分でもよくわかりませんでした。しかし今になってこう思うのです。

奢りに対価を求めるっておかしくない?

奢る目的とは何でしょうか。

自分の方が年上だから?収入が上だから?この時間が楽しかったから?

 

奢るというのはあくまで自発的にすることであって、対価を求めた時点でもう奢りではないと思います。

対価を求め時点でそれは対価に対しての支払いです。

支払額が自分にとって不釣り合いだと感じるのなら断れば良いのです。

人間の価値は男女問わず、この数千円、数万円とは比べ物にならないくらいに高いものです。

だから嫌なら嫌で断っても問題ありません。

それで相手が逆上するようならそれまでの人間なのです。

 

私の足りない語彙力を補うため、犬山紙子さんの記事をご紹介させていただきます。

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本当に……罪悪感なんて感じることないんですよ。

どうしても心苦しいならこちらも1の労力。

ちょっと良いチョコレートをプレゼントとかで良いのです。

身体を張る必要なんてありません。

 

ということをあの時の私は感じたんじゃないかなあと思います。

かくして「奢られる」という行為に苦手意識を持つと同時に、その後の婚活について考える機会となりました。(この頃から婚活は控えて趣味に没頭するようになった気がします。)

 

ちなみに私たち夫婦の財布は別々なので、外食の時は基本的に各々が支払います。しかし時々旦那は「いつも頑張ってくれているから」と奢ってくれることがあります。こういう「奢り」は対等な感じがしてこちらも心苦しく無いですし、むしろ気持ちが良いですね。

 

優劣

「奢る」という行為だけで関係性に優劣ができるのは絶対におかしい。

仕事や学校でも無い限り、人間関係に上下なんてありません。

しかし無理やりにでも優劣をつけようとする人は必ずいます。

 

「奢る」だけではない。

学歴、年収、様々な面で人は優劣を付けられます。

恋愛や友達関係など、「個人」と「個人」の関係においてはそんなの関係ないはずなんですけどね。

 

かの福沢諭吉先生は『学問のすすめ』で次のように述べています。

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。(中略)されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違にあるに似たるはなんぞや。(中略)されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

 

ざっくり口語訳すると、「人は皆平等だとか言うわりに差が出るのってなんでかって?それは勉強してるかしてないかの違いだ!」という感じです。

つまり、優劣を何とかしたいなら学べ!ということです。

学んで知識が増えることで、きっといつかそれが自分を守るための武器になります。

だからこそ勉強は積極的にするべきです。

何も学校の勉強だけではありません。

本を読む、ニュースに目を向けるだけでも十分勉強です。

 

少しだけ、自分の知識を増やしてみませんか?