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国語の大切さについて改めて考えた

 

「日本人なんだから国語の勉強なんて必要ないし!」

って言うやつ、小学生の頃いませんでした?私の同級生にはいました。

けどそういうやつに限って成績悪いんですよね。

 

メディアリテラシー 

小学生の頃に国語の授業で「メディアリテラシー」について学んだことがあります。

「メディアリテラシー」というのはざっくり説明すると情報を得る時は一つの情報だけではなく様々な情報源からよく考えて判断しなさいよー的な感じです。

いわゆる「デマに踊らされる人」というのはそれができていないのかなと思う一方で、インターネットの発達によって「メディアリテラシー」というのは非常に難しいものになってしまったと思います。

インターネット上には情報が溢れています。

それこそ嘘か本当かもわからないような情報が多数見受けられます。

 

かつてはテレビ・新聞・雑誌・ラジオ程度だったものが、今はインターネットのあらゆる情報に目を通さないと比較検討ができない状況です。

このような社会において「デマに踊らされる人」が多数出てくるのは仕方のないことだと思います。

私自身もデマや事実と異なって伝わっている出来事に反応してしまうことが多々あります。

そして後から調べて「あー」ってなるんですよね。

 

国語は大切な科目

さて、冒頭の国語の話に戻ります。

日々生きていく上で最も大切な科目こそ国語の勉強だと考えます。

国語――とりわけ現代文というのは自分で考えることが要求される科目です。

テストで「この時の作者の気持ちを述べよ」なんて問い、絶対見たことがあるでしょう?

まあテストは先生の答えありきなので自分で考えたこととは多少外れると思うのですが。

それでも書かれた文章に対して考えるという作業は生きていく上で欠かせないものです。

これが文章だからとっつきにくいと感じるだけで、誰かとの会話だって同じことが言えます。相手の話している内容を理解していないと会話は成立しないですよね?

 

また「文章が読める」というのも非常に大切なことです。

「は?文章くらい読めるし!」とお思いの方。

果たして本当にそうでしょうか。

ニュースや記事の一部しか見聞きしていないなんてことありませんか?

果たしてそれで記事の本質をとらえることができるのでしょうか。

一部しか読まなかった方がヒートアップしてその記事が炎上……しかしよく読むと全然趣旨の違う内容だったってこと、ツイッターを見ていると時々ありますよね。

 

教授の言葉

私は大学で日本文学を学んでいました。

文学の研究なんてそれこそ「様々な情報源からよく考えて判断」する必要があります。

文学なんて正解のない分野ですから、考察は人それぞれだと思います。

しかし知識の乏しい学生が研究するには作品だけでなく既存の研究や関連書籍、作者の生い立ちなどに触れておく必要があります。

そうして得た情報を踏まえて自分なりの考えを導き出すんですね。

 

大学卒業時に教授から言われた言葉があります。

「文学を学ぶということは、文章が読めるということです。文章が読めるということは、人が何を言っているかがわかるということです。文学を学んだあなたたちは、社会で生きていく上で最も基本的で大切なことが既にできているのです。」

この言葉を聞いた時に「私の4年間は無駄じゃなかったんだなあ」と心から思えました。

日本文学ってどうしても「そんなの勉強して何になるの?」って言われがちですからね。

 

最近の新型コロナ関係の情報の錯綜具合を見ていて、改めて国語の大切さについて考えさせられたので書いてみました。

今は学校が休校になって退屈しているお子様が沢山いらっしゃると思います。

折角の機会なので、読書を勧めてみたらいかがでしょうか?

自分も同じ本を読んで感想を言い合うのも楽しいかもしれませんね。

 

 

10代からの情報キャッチボール入門――使えるメディア・リテラシー

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  • 作者:下村 健一
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